赴任した途端
取り引きがない状態に直面

2007年に、インド南西部・アラビア海に面するゴア州パナジにあるゴア駐在員事務所に赴任した大塚。インドは世界的な鉄鉱石の産地として知られ、日本はオーストラリア、ブラジルの次に同国から多くを輸入している。同地はその輸出拠点であり、JFE商事は川鉄商事時代に同地に早くから駐在員事務所を設立していた。以来、安定的な量の鉄鉱石を日本に輸出してきた。
 ところが、輸出量が徐々に減少し、大塚が赴任した頃には、ほとんどなくなってしまっていたのだ。
「韓国や中国の製鉄会社の台頭で輸出量が相対的に減っていく中でも、日本の製鉄会社の品質や価格などに関する要求は変わらずに厳しいものでした。それが、インドの鉱山会社の韓国・中国へのシフトに輪をかけることになりました。その影響で、当社の駐在員事務所はビジネスが立ち行かなくなってしまっていたのです」
 こうなったら、何としてもほかのビジネスを探すしかない。そこで大塚は、中国向けの輸出を手掛けることを目論むとともに、新しい商材としてアルミニウムの原料となるボーキサイトに着目した。前任者が有望なボーキサイト鉱山オーナーを探り出していたのだ。
「ボーキサイトの日本への輸出は当時年間3万トンほどしかなく、ほとんど開拓できていませんでした。しかも、その鉱山のボーキサイトの品質が高いということもわかりました。これはチャンスだと思いましたね」

貿易経験のない鉱山オーナーに
貿易の基本を説く

さっそく大塚はそのボーキサイト鉱山のオーナーを訪ねることにした。目の前に現れたのは、70代と思われる一人の老人。鉱山は、その老人の個人所有だったのである。大塚は取り引きを迫ったが、相手もそう簡単には首を縦に振らなかった。
「その鉱山は全量をインド国内のアルミ精錬メーカーに売っていたのです。つまり、他国へ輸出するという経験がありませんでした」
 そこから大塚はオーナーのもとへの日参を始めた。大塚は自作の資料とともに、かろうじて二人の間で通じ合う英語、そして身振り手振りを駆使して、彼に貿易の基本から熱く説き始めた。
「貿易のことはなんとなく理解はしてもらえたのですが、次にまた難関が立ち塞がりました」

 輸出するためには、トラックにボーキサイトを積んで積出港まで運ばなければならない。その費用は当然、鉱山側が負担するのが一般的である。しかし、彼の鉱山に対しては、それまで買い手がトラックの費用を負担していたのだ。つまり、オーナーはデリバリーに対してコストを全く支払っていなかった。そのコストの支払いを彼は渋ったのである。
「仕方ないので、トラック運賃はこちらで立て替えることにしました。こちらは輸出先にボーキサイトを納めて初めて入金となるので、一時的にファイナンスが発生することになります。しかし、インドはものすごい高金利。立て替えは会社として到底、無理でした」
 そこで大塚は、本社に「この立て替え金が用立てられないと交渉できない」と直談判したのだ。

25万ドルの貸し倒れリスクを
承知した“肝が据わった”本社

そうしたら、本社の人が骨を折ってくれて、25万ドルの立て替え金を認めてくれたのです」
 その25万ドルは「前渡し金」の形でオーナーに渡された。もちろん契約書は交わしたが、取引が完了するまでは様々なリスクが想定される。
「本社はそのリスクを承知してくれたわけです。もちろん、関係部署との様々な協議や手続きはありましたが、最終的には25万ドルもの立て替えを認めてくれて、肝が据わった会社だと思いましたね」
 ビジネスの話に留まらず、例えば大塚は彼が「補聴器の電池の品質が悪くて困っている」とこぼすのを聞くと、日本製の電池を届けたこともある。
「インドはインターネット環境が良くない上に、彼はメールなどできません。さらに鉱山がある場所には電話も通じないのです。足を運ぶしか方法はありませんでした」
 “言った”“言わない”のトラブルを避けるために、議事録を作成してサインしてもらうということもした。そうした大塚の奮闘があって、オーナーのかたくなな態度は軟化していった。
「もっとも、相手は人生経験豊富な大先輩。なかなか聞き入れてもらえなかった話も翌日には意外にもスムーズに進んだり、またその逆も、ちょっと振り回されましたね(笑)」
 そして、ついに取り引きの合意を得て27万トンの輸出に成功。その後、ほかのボーキサイト鉱山の開拓も手がけ、2鉱山で100万トンまで増やすことができ、事業部の柱に育ったのである。
 大塚がそういった困難を乗り越えられたエネルギーの源泉は何だったのか。
「意地、だと思います。当初、鉄鉱石の取り引きがないなら事務所を閉鎖するか、という話もありました。ゴアの駐在員は私で17代目でした。歴代の先輩方が営々として築いてきた事務所を、自分の代で閉めてなるものか、という気持ちでしたね」

拡大マーケットを取り込む最有力手段と
期待されている三国間貿易に奔走

そんな大塚はいま、本社で鉄鉱石などの三国間貿易の拡大を担い、アジア各地や中南米を奔走している。日本の鉄鉱石の輸入量が減少する一方、中国などの新興国では大幅に増えている。この拡大マーケットを取り込むことが全社的な大命題となっており、三国間貿易はその最有力の手段と期待されているのだ。新しいソースの権益を確保するとともに、中国などの需要家を開拓するのが大塚へのミッションである。
「現在は砂鉄鉱山や副産物の権益などを狙ってチャンスを探っています。いずれにしてもアタックまたアタックの日々ですね」
 JFE商事は右から左に流すだけのブローカーではなく責任をもって需要家に販売する必要があることから、鉱山の概要をしっかり把握しなければならない。
「生産工程も、例えば鉱石を網でふるっているならば、そのふるい方まで確

認しています。そして品質に問題ないとわかれば、価格を提示して交渉に入るわけです。この価格交渉のタイミングが商社パーソンとして一番燃える瞬間ですね(笑)」
 大塚は「課長」として、そして若いメンバーと一緒にプレーヤーとしても動いている。現在の部署で取り扱っている鉄鉱石の取り引きは、以前より安定的に実績をあげている面がある。それに対して大塚は、インド駐在から日本に戻るまでの13年間、決して安定的とは言えない非鉄金属の営業に取り組んできた。
「非鉄の世界ではかなり泥臭い営業をしてきました。上司からはその泥臭さを、鉄鉱石の世界にも持ち込んでほしいと言われています」
 そう言う大塚は、「新規開拓は自分の頑張りに応じて成果が上がるところが面白い」と笑う。このフロンティア精神こそが、JFE商事の推進力なのだ。