新規取引で月間500トン。
組織力と先輩の教えの賜物

入社5年目の2009年、大阪薄板部薄板・ブリキ室に在籍当時、稲垣は大手ハウスメーカーとの新規取引にこぎ着けた。ハウスメーカーが必要とする鋼材は薄板だけでなく、H型鋼やパイプなど多岐に渡る。所属部署が担当する薄板以外の鋼材は、他部署や関連会社を巻き込んでトータルに品種を提供できる体制を整えた。そして、販売量を月間500トンまで伸ばすことに成功したのだ。
「新興国のメーカーへの輸出ならともかく、成熟した国内で特定の需要家との新規取引は100トンでも難しいと思います。それを500トンまで伸ばせたのは、JFE商事グループの組織力と、私にとっては『自ら情報を取りに行け』『お客さまの困っていることを掴め』といった日々の先輩の教えが大きかったと思っています」
 そう述懐する稲垣は、2004年に入社後、大阪薄板部自動車・電機鋼材グループに配属された。そこでは、大手家電メーカー向けに冷蔵庫や洗濯機といった製品の材料になる薄板の直販に関わった。業界で「紐付」と呼ばれる取引形態である。全国で一、二を争う大口顧客であった変圧器メーカーも担当し、電磁鋼板という高付加価値の品種も扱った。
「電磁鋼板の需給が逼迫した時、海外の鉄鋼メーカーや加工センターなどをコーディネートし、それなりの実績を挙げていました」
 このまま大口顧客に電磁鋼板を販売するという仕事を続けていくと思っていた稲垣に、2008年4月、薄板・ブリキ室への異動辞令が下った。  「波に乗っている時期に突然の辞令。正直、ショックでした(笑)」

先輩の一言で「逃げたらあかん」と目が覚める

薄板・ブリキ室は、主に「店売」という、鋼材問屋向けに薄板商品を卸す仕事を担当するセクション。大手企業を相手にした、いわば安定的な営業スタイルから深い人間関係も求められる泥臭い営業スタイルに。
「これまで、お客さまのニーズに対応するスタイルでやってきた。そのやり方は新しい部署で通用するのだろうかと不安になったのです。しかも自分はお酒は強くない(笑)。果たしてやっていけるのかと思いました」
 そんな稲垣がある先輩に不安を打ち明けると、「店売も紐付もお客さんのニーズをつかむことは同じや。お客の心のつかみ方を考えろ」とアドバイスをしてくれたのだ。
「その一言で、目が覚めました。『逃げたらあかん』と。そして、引き継いだ大口のお客さまに足繁く通ってみることにしたのです」
 その鋼材加工問屋である顧客には需要家を担当する十数名の営業担当者

がおり、その中に仕入先となるJFE商事の窓口を兼ねる担当者がいた。通常はその担当者とだけ接すればいいことになるが、稲垣はそうは考えなかった。
「営業担当者の中には、より川上の動向や相場の見通しなどを知りたがっている人もいると思ったのです。それで、毎日のように通って取引先営業担当の全員とそれらについて話をすることにしました」
 そうして稲垣は、取引量を増やすという対価以上に、JFE商事を代表して重要な取引先との関係を深め、次の担当者に“繋げる”ことの重要さを学んでいった。
「私が担当を外れ、大阪鉄鋼総括室へ異動する事が決まった時、お客さまの営業担当者『全員』で熱烈な送別会を開いてくれました。何よりのはなむけでしたね。今でもお付き合いは続いています」

泥臭い営業現場と本部との架け橋に

そして2011年、稲垣は営業の第一線から、関西を中心とする西日本地区の営業部門を統括する重要なスタッフ部門に異動する。さらに2012年、鉄鋼部門全体の事業計画策定や収益管理などを総括する現在の部署に移った。
「この時も、なんで俺? と思いました。営業とちゃうんかい、と(笑)。けれども、逆の立場から、それまで営業として統括セクションに対する距離感を感じていたことを思い出し、ならば泥臭い営業現場を知っている自分がその架け橋になろうと思いました。より実効の上がる収益拡大策を打ち出していきたいと思っています」
 そう言って笑う稲垣は、これからも活躍の幅をさらに拡げていくに違いない。