入社11年目に、初めて臨んだ海外赴任 100億円超のプロジェクトを通じて自ら作り上げた信頼の絆と新たなビジネスモデル

PROFILE

国内営業を経て、2012年に、インドのビシャナガールで自動車用鋼板プラント3基の建設プロジェクトに参加する傍ら、新たなマーケットの開拓にも努めた。商社パーソンとして、大切にしている言葉は、「先義後利」。道義を優先し義理をつくせば、利益はあとからついてくるというその言葉どおり、まず相手にとって何が必要かを考えて行動する。その姿勢からか、顧客、取引先、メンバーからも慕われ、多くの人とのつながりが途絶えることがない。

10年以上の国内営業の経験を礎に、製鉄所建設のためインドにプロジェクト責任者として赴任

 「入社して14年。これまで多くの人たちに出会いました。たくさんの思い出がありますが、その中でも最も印象に残っているのは、2012年からのインドでの2年間だと思います。商社パーソンとしての自分自身の役割の大きさや、JFE商事ならではの仕事の意義を実感しました。そして一生のつきあいとなりそうなインドの人たちとの出会いもありました」。倉西がそう語る、経験とは、インドのビシャナガールに建設された自動車用鋼板を製造する3基のプラント建設案件を手掛けたことだ。総額100億円を超えるビッグプロジェクトだった。倉西は、プロジェクトの進捗を管理し、現地オフィスの立ち上げや、インドでの新たなマーケット開拓を推進するため、その責任者として現地に赴任した。
 「全くのゼロからのスタートでした。プラントの建設地は、インドのもっとも近い空港から車で6時間もかかる場所。まず、現地での生活をどうするのか、というところから始まりました。交通、宿泊、食事など文化の違いに慣れる必要がありました。また、オフィスを開設するにあたり、インドの法律に則って登記をする必要があるのですが、しようにも役所がない。警察が代行して手続きをするような場所でした。また、英語すら通じないため、通訳を中心にナショナルスタッフを採用し、苦戦しながらもオフィスを設立し、プラント建設をスムーズに進行するための準備を整えていきました。その後も毎日何かしらのトラブルが起こる。その一つ一つを解決しながら、プロジェクトを進めるのは大変でした」。

インドの人々が持つ、“日本の商社”の印象を一新させた、顧客・地域密着型のビジネススタイル

 インドでは“商社”の存在・機能は殆ど認知されていない。JFE商事特有のビジネスモデルについてはなおさら理解を得られず、反発されることも多かった。
 「JFE商事って何をしてくれるの?他の日本商社と同じようにファイナンスの部分で、間を取り持つだけじゃないの?」と最初のうちは、現地での反応は芳しくなく、私たちの仕事や役割についても懐疑的な態度でした。その反応を見て、自分自身の気持ちに火がつきました。『我々を見る目を、変えてみせる』と。国内で営業をしていた時も、新しいことをする時は何かしらの反発がありました。そういう時も、顧客や周囲を味方に巻き込んで、成功に導くのが自分のスタイルでしたので迷いなく突き進みました。例えば、本来は製鉄所の操業に注力しなければいけないインド人エンジニアが、各社から部品の見積取得や、サプライヤー比較、手配業務に翻弄させられている事がよくありました。自分はそのエンジニアの業務を代行し、プラスアルファの商品情報とともに提供しました。簡単に聞こえますが、このような業務はインド国内の会社はもちろん、日本の他商社やプラント会社にはできないんです。これは社員各員が製鉄所向けの資機材品に精通し、かつ2500社以上の仕入先を持っている当社ならではの機能なんです。すると、徐々に彼らの反応も変わっていったんです。JFE商事の存在価値を認めてくれるようになりました。日本への帰任が決まった際には、『帰らないでくれ』とまで言ってもらうことができました。嬉しかったですね。そして同時に誇らしくなりました。会社の代表としてインドに来て、プロジェクトだけでなく当社特有の機能が評価され、喜んで頂けた、自分の仕事とその価値の大きさを改めて実感しました」。

 “先義後利”が倉西自身の商いの基本 人とのつながりが仕事をより大きくする

 「仕事を進める上で、私が大切にしているのが、“先義後利”という言葉です。こちらが義理を尽くせば、利益はあとからついてくる。そうやって商売というのはつながっていくんだと思います。日本でもインドでも、その考えは同じだと思っています」。
 倉西が携わったインドのビシャナガールのプラント建設は、無事に完成し、現在ではインドでも有数の高級鋼板を製造する製鉄所として稼働している。また、ビシャナガールに開設した小さなオフィスは、現在JFE商事の現地法人の重要拠点となっている。顧客と地域に密着した営業スタイルの成功事例となった。
 「私が所属する資機材本部では、若手はまず地方の製鉄所近くのオフィスで仕事をスタートします。何千というメーカーの皆さんと一緒に、製鉄所にありとあらゆるモノを納める。そうした仕事の中で、製鉄所にはどんな機材や部品が必要で、どんなことに困っているのかがわかるようになります。総合商社はもちろん、専門商社でもそこまでやっているところは他にない。その経験が、3年後、4年後に大きな財産になって、仕事を大きくしていきます。そうした環境で経験したことが、インドでの成功につながったと思います。
 今回の経験を後輩たちにも引き継いで、機械や資機材を扱えるプロの集団の活躍の場を、世界中に広げていきたいですね」。
 にこやかに、しかし、しっかりと前を見つめる倉西の言葉は力強かった。

COLUMN

「入社した時に、初めて大きな商売を任せてくださった顧客がいます。今はもう定年退職されていますが、その方とは今でも年賀状のやり取りをしています。『商売っていうのはこうして作り上げていくんだ』と、今の自分の基本を仕込んでいただきました」。

「国内でも海外でも私たちがやっている仕事の基本は、顧客と直接会話するところだと思います。そして顧客のかゆいところに手が届く心遣いができること。それが結果として、お互いの信頼につながり商売に結び付くと思っています」。

「インドでは顧客のエンジニアと、星を眺めながら一晩中語り合ったこともありました。お互いの夢とか、目標とか。星をずっと見ながら、男二人で(笑)。そうした交流が積み重なって、私自身もインドという国が大好きになりました」

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