本音で話し、同じ目線で向き合う マレーシアでのマネジメント経験が自分自身の成長の飛躍へとつながった

PROFILE

学生時代は商学部で貿易を学び、通関士の資格も取得。貿易関連の仕事を希望し、JFE商事へ。入社5年目から電機鋼材貿易室にて鋼材の輸出業務を担当し、2010年にマレーシアで鋼材加工を行うJFE Shoji Steel Malaysia Sdn. Bhd.に駐在員として家族とともに赴任。当時、28歳だった。現在二人の息子を持つ父。現地赴任後、経済環境の悪化・ビジネス環境の急速な変化により厳しくなった会社の状況を、当時の駐在員メンバー・現地のスタッフと共に乗り越え、2014年に東京本社に帰任。現在は、JFE SHOJI STEEL HAI PHONG CO,LTD.にて駐在中。

「駐在員として現地のマーケットを自分の色に」意気も高く、28歳で向かったマレーシア赴任

 2004年に入社した荒井は、電気製品に使用される鋼材を扱う電機鋼材貿易室で、複合機やプリンターなどの事務機器メーカーを顧客としてメインに担当。現在は、課長代理を務める。新入社員の教育も含めて、メンバーマネジメントもしながら、営業担当としてベトナムや中国などアジア各国を飛び回る毎日だ。
 「1年目の社員を含めて、メンバーの成長をサポートする立場になって意識していることは、相手の意を酌んでコミュニケーションをとるようにすること。課題があったら、こちらからすぐに答えをだすのではなくて一緒に考えるスタンスで接するようにする。その繰り返しが自分を含めた成長につながりますから」。マレーシアへの赴任前は、後輩への指導も時に指示型となりがちだった荒井。そんな彼が、相手の立場で一緒に考え、答えを導き出すようなスタイルになったきっかけは、2010年の人事異動にあった。マレーシアのコイルセンターへの赴任である。「JFE商事は電機メーカーなどの製造業者向けに鋼材加工を行うコイルセンターを、海外にも保有しています。そのうちの一つであるマレーシアのコイルセンターに、営業マネージャーとして着任することになりました。28歳の時です。赴任前は本社の営業担当としてマレーシアには出張で何度か行った程度でしたが、漠然と、“この国に駐在したい。このマーケットで勝負したい”という気持ちがありました。国の文化や人が、自分に合っているような気がしたんですね。それから2年後、その感覚が現実になりました。前任者は、先輩として魅力のある方だったのですが、現地の顧客や取引先との関係も抜群に良くて。赴任当初どこに行っても、その方の名前が出てくる。駐在して赴任するからには、この国を自分のマーケットにするんだ、自分なりの色をしっかり残して、自分の名前に塗り替えていこうという思いがモチベーションになって、着任した最初の週から、顧客や取引先を精力的に回っていきました」。

業績の低迷を乗り越えた ナショナルスタッフを巻き込んだ一体型の組織運営

 しかし、それまで順調に推移していた業績が悪化。マーケットが物凄いスピードで変化していった。
「次第に会社の業績が厳しくなって。何をしても数字が上がらない状態。私を含めた4名の駐在員で毎日相談しながら試行錯誤していたのですが、なかなかうまくいかない。150名ほどの規模の会社ですが、全社一体となって取り組んでいかないと今の状況は乗り越えられない。兎に角まずはできることを全員で丁寧にやっていこうということになりました」。
 会社の状況、課題を共有し、何ができるかを現地のナショナルスタッフとも本音で徹底的に話し合った。
 「ナショナルスタッフたちにも、『今、こんなことで困っている』、『こういう事情でこんなことが起きている』と、会社の状況や課題を伝えて、彼らにこう話しました。『一緒に、君たちの力で、助けてほしい』」。
 荒井は、営業の最前線にいながら、同時に赴任先の会社では、気付けばナンバー2の存在に。周辺環境の悪化・変化による会社の厳しい状況も、マネージャーとしてそれを乗り越えていかなければならない。荒井の組織運営力が試された。
 「会社の従業員のほとんどが、ナショナルスタッフです。会社の業績を上げるためには、彼らの力なくしては乗り越えられません。やる気をあげるためにわかりやすいのは、給与を上げること。でも、業績が厳しい時だから、それもままならない。じゃあ、どうするか。それを一緒に考えていこう。そういうふうにナショナルスタッフ一人一人に話しました。特に営業部隊は“会社のエンジン”部分。同じ目線で話すことを心がけて、どんな小さなことでも、ナショナルスタッフから上がってきた意見や提案はどんどん取り入れて、一つ一つ実行していきました。雰囲気作りにも気をつけました。『日本人が落ち込むな』、『どんな時でも明るくいよう』、と社長を筆頭に駐在員4人でよく話したものでした。その結果、業績も少しずつ回復。会社全体が一つになれて、全員で喜び、一体感を分かち合うことができました。営業の現場だけではなく、社内も含めた組織コミュニケーションの大切さを実感しました」。

駐在員としての責任、現地との交流と共有。培われた経営的視点。そしてこれから目指すもの

 マレーシアに海外駐在員として赴任して4年半となる2014年の秋に、荒井は再び日本に戻ることになる。
 「帰任する時の壮行会では、マレーシアにはそういう文化がないにも関わらず、寄せ書きのような、メッセージコメントが入ったアルバムをナショナルスタッフのみんなからもらいました。嬉しかったですね。苦しい時を乗り越えた仲間としての実感が改めて湧いてきました。帰りの飛行機で読み返しているうちに涙がどんどん溢れてくる。顧客との関係、ナショナルスタッフとの関係。自分の色に変えたい、という思いで走り始めたマレーシアでの駐在員としての経験は、私自身を大きく変え、成長させてくれたと思います」。
 現在、荒井には秘めている目標がある。現地法人やグループ会社の社長になることだ。
「マレーシアでの経験と御一緒させて頂いた歴代の社長からの影響が大きかったと思います。間違いなく簡単では無いですが、今度は経営者の立場から従業員と一体感を創造しながらまたマーケットで勝負したい。まだまだ漠然とした目標ですが、そのために何が必要か。自問自答しながら自分をもっともっと高めていきたいですね」。
 明るく笑顔でそう語る荒井の言葉は、とても力強かった。

COLUMN

およそ4年半の駐在期間を終え、帰任する際にナショナルスタッフからもらった“寄せ書き”は、荒井にとって大切な宝物。一つ一つのメッセージが、今でも荒井に大きな力を与えてくれる。

「駐在員として赴任する時に、普段厳しかった先輩から『駐在員として行くからには、何かしら”生きた証”を残して帰ってこい』と送り出された言葉が、自分を後押ししてくれました。その言葉を実現するために体を張れたことが大きかったと思います」。

「自分が扱う鉄の商品は、TV・複合機など様々な電気製品に使われています。マレーシア以外の東南アジアの国々に出張に行った時や日本の家電量販店でMade in Malaysiaという表示を見ると、自分の仕事が世界の中で少しでも役にたっているのかな、という気持ちになります」。

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